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小さく始められる場所

「いいこと思いついちゃった!」は、何も私の専売特許ではなく、おそらくどんな人にも日常的に起こっている出来事なのではないでしょうか。ふっと思いついちゃった無数の「いいこと」・・・多くは泡のようにすぐ消え、あるものはしばらく頭の片隅に引っかかり続け、時々思いだしては「こうだったらいいのになぁ。」と思う。そう、私自身を含めてたいていは「思う」だけです。でも、やっぱりそれではもったいない!

なぜって、何かを思いつくというのは一つの出会いだと思うから。「わたし」という閉じられた個人の中の「主観」だなんてことはあり得ません。ニーズがあるのかどうかとか、状況を「客観的」に把握し評価する以前に、「わたし」が、人やモノ、環境に(いいこと思いついた!という形で)そのように出あっているのです。もちろんだからといって「思いついた」ことそのものが正しいのだと言いたいわけではありません。ましてや、「思いついたら即実行!」などという教訓に結びつけるような胡散臭いことを主張しているのでもありません。そうではなく、その出会い自体は、ことの正否を超えた出来事。評価や判断を下す前に、そのような形で出あったという事実を大切に、それとの対話をしていけるといいんじゃないかなぁと思うのです。

しかし、とかく今の世の中は「根拠はあるのか」とか、「ニーズに適っているのか」だとか、「全体を客観的にみろ」だとか・・・対話ベースではなく、「評価」が軸になっているように思います。まぁそれはそれで必要な時と場合があるということくらい理解はできますが。

つまんないな。

と、チンピラ体質の私は思います。すべての情報やら根拠やらが出揃わないとだめ?でも、ヒトの自然として、飛んでくるボールをひゅっとよけるとか、熱いお鍋に触ってしまって「あちっ」と手を引っ込めるとか、熟慮の上の決断ではなくフライング気味にやっちゃってることって多いですよね。「いいこと思いついちゃった!」だって、そういう身体の知覚レベルでの営みと、案外そう違わない出来事なんじゃないのかな。そう思ったら、「わたし」と世界(人、もの、出来事)との即応状態であるところの「いいこと思いついちゃった!」を、もっと信頼してもいいように思います。

だから、思いついたことをやってみたらいい。やってみて、あーだこーだと言いながら、試行錯誤していったらいい。壮大で完ぺきな計画を練ってから実行するのもいいですけれども、それだけではなく、ちょっとした思いつきを小さく始めてみる。うまくいったり、失敗したりすること。その一連の試みそのものを、「対話」といってもいいのではないでしょうか。

思いついたことを、小さく始められる場所。そこで生まれる対話を大切にする場所。私自身がそうした場所を必要として、梟文庫を立ち上げることにしました。そしてたくさんの人の「思いついちゃった、いいこと」が小さく始まる場所になってくれたらと、心から願っています。

思いつき、大募集です。

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